このサイトに登録されている誕生日で有名人の数:78,818人
スポンサーリンク
このサイトに登録されている「1899年」生まれの有名人の数:207:人
1 | 根道廣吉 茨城県 出身 | Wikipedia |
根道 廣吉(ねみち ひろきち、根道広吉、1899年? - 1957年1月15日)は、日本の行政官。元特別調達庁長官。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
一橋大学出身 茨城県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
2 | 加賀孝一郎 岐阜県 出身 | Wikipedia |
加賀 孝一郎(かが こういちろう、1899年(明治32年) - 1988年(昭和63年)2月3日)は、日本の洋画家。 | ||
全国の岐阜県出身者 | ||
3 | 金沢治 徳島県 出身 | Wikipedia |
金沢 治(かなざわ おさめ、1899年 - 1982年)は日本の言語学者。歌人。徳島県出身。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
4 | 石井順一 広島県 出身 | Wikipedia |
石井 順一(いしい じゅんいち、1899年 - 1991年3月4日)は、高校野球指導者。元早稲田実業学校野球部監督。ボール、バット職人、ラビットボール、圧縮バット発明者。東京本郷生まれ、広島県育ち。身長157?。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
5 | 田中敬孝 広島県 出身 | Wikipedia |
田中 敬孝(たなか よしたか、1899年(明治32年) - 没年不明)は、日本のサッカー指導者。広島県広島市翠町(現・南区翠町)出身[2]。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
6 | 斎藤弘吉 山形県 出身 | Wikipedia |
斎藤 弘吉(さいとう ひろきち、明治32年(1899年) - 昭和39年(1964年)9月19日)は、日本の日本犬研究家、芸術家、古美術研究家である。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
東京芸術大学出身 山形県出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
7 | 関口林五郎 群馬県 渋川市(旧・子持村) 群馬県柔道連盟会長・群馬県医師会会長 出身 | Wikipedia |
関口 林五郎(せきぐち りんごろう、1899年 - 1973年)は、日本の柔道家・関口整形外科病院院長。「体育の父」と多くの人に慕われた。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の渋川市(旧・子持村) 群馬県柔道連盟会長・群馬県医師会会長出身者 | ||
8 | 関太一 | Wikipedia |
関 太一(せき たいち、1899年 - 1951年[1]10月23日[2])は、日本の商学者。東京経済大学の前身である大倉経済専門学校校長として、新制大学への昇格に尽力し、東京経済大学初代学長となった。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
9 | 蔡阿信 | Wikipedia |
蔡 阿信(さい あしん、1899年 - 1990年)は、台湾人初の女医。台湾女性史において大きく取り上げられる。 | ||
東京女子医科大学出身 全国の東京女子医科大学の出身者 | ||
10 | 一戸謙三 青森県 弘前市 出身 | Wikipedia |
一戸 謙三(いちのへ けんぞう、1899年 - 1979年 )は、日本の詩人。 | ||
全国の青森県出身者 全国の弘前市出身者 | ||
青森県立弘前高等学校出身 全国の青森県立弘前高等学校の出身者 | ||
11 | 田中萬一 長崎県 出身 | Wikipedia |
田中 萬一(たなか まんいち、1899年 - 1973年6月18日)は、長崎県大村市出身の日本の検察官。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
中央大学出身 長崎県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
12 | 佐保田鶴治 福井県 出身 | Wikipedia |
佐保田 鶴治(さほだ つるじ、1899年 - 1986年9月11日)は、インド哲学・宗教学専攻の学者、大阪大学名誉教授、文学博士。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
京都大学出身 福井県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
13 | 勝田香月 静岡県 沼津市 出身 | Wikipedia |
勝田 香月(かつた こうげつ、1899年3月12日 - 1966年11月5日)は、静岡県沼津市出身の詩人・政治家である。有名な作品としては杉山長谷夫により曲がつけられた「出船」があげられる。1899年沼津市に生まれ、わずか23歳で詩集「心のほころび」を出版する。29歳で東京市中野町(現東京都中野区)の町議員に当選する。沼津市港口公園には「出船」の歌碑がある。 | ||
全国の静岡県出身者 全国の沼津市出身者 | ||
14 | 佐藤一英 愛知県 出身 | Wikipedia |
佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年) - 1979年(昭和54年))は、詩人。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
早稲田大学出身 愛知県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
15 | 山田秀三 東京都 出身 | Wikipedia |
山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年 - 1992年7月28日)は、日本のアイヌ語地名研究家、官僚、実業家。東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究した。北海道曹達株式会社の経営者でもあった。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
16 | 田中剛二 広島県 出身 | Wikipedia |
田中 剛二(たなか ごうじ、1899年 - 1979年4月11日)は、日本の牧師。日本キリスト改革派教会の牧師として、神戸改革派神学校で長年教鞭をとった神学校教師。新改訳聖書のヨハネの福音書を翻訳する。現代の改革派の講解説教のスタイルを確立した説教者とされる。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
17 | 堀健夫 富山県 出身 | Wikipedia |
堀 健夫(ほり たけお、1899年 - 1994年)は、日本の物理学者。富山県生まれ。 京都帝国大学理学部物理学科を1923年に卒業、旅順工科大学教授を経て、1935(昭和10)年、北海道帝国大学理学部教授となる。分子が発する光のスペクトルを実験的に調べ、量子力学を使って解析するという、分光学の実験的研究を行ない、この分野の後進の育成にもあたった。戦後は二度にわたって低温科学研究所の所長を務め、霧についての「総合的研究」をリードする。北大を辞してからは、関西学院大学、京都産業大学で教壇に立った。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
関西学院大学出身 富山県出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
18 | 富澤傳八 群馬県 出身 | Wikipedia |
富澤 傳八(とみざわ でんぱち、1899年 - 1966年)は、大正から昭和にかけての日本の柔道家。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
19 | 関敬吾 長崎県 出身 | Wikipedia |
関 敬吾(せき けいご、1899年 - 1990年)は日本の民俗学者、文化人類学者。専門は口承文芸、昔話研究。 | ||
全国の長崎県出身者 | ||
東洋大学出身 長崎県出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 |
スポンサーリンク
20 | 横田正俊 北海道 函館市 出身 | Wikipedia |
横田 正俊(よこた まさとし、1899年(明治32年)1月11日 - 1984年(昭和59年)7月1日)は、日本の裁判官。第4代最高裁判所長官を務めた。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。なお、前任の最高裁判所長官横田喜三郎と同姓だが、血縁関係はない。 | ||
全国の北海道出身者 全国の函館市出身者 | ||
東京大学出身 北海道出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
学習院高等科出身 全国の学習院高等科の出身者 | ||
21 | 佐伯梅友 埼玉県 出身 | Wikipedia |
佐伯 梅友(さえき うめとも、1899年1月13日 - 1994年10月12日)は、日本の国語学者。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
京都帝国大学出身 埼玉県出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
埼玉県立不動岡高等学校出身 全国の埼玉県立不動岡高等学校の出身者 | ||
22 | 香取正彦 千葉県 佐倉市 出身 | Wikipedia |
香取 正彦(かとり まさひこ、1899年 1月15日- 1988年11月19日)は、日本の鋳金工芸作家。1977年(昭和52年)に梵鐘の分野で重要無形文化財保持者(「人間国宝」)に認定された。 | ||
全国の千葉県出身者 全国の佐倉市出身者 | ||
23 | 両角政人 長野県 出身 | Wikipedia |
両角 政人(もろずみ まさと[2]、まさんど[3]、1899年1月25日 - 1988年12月30日)は、日本の新聞記者、スケート指導者[2]。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
24 | 高良武久 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
高良 武久(こうら たけひさ、1899年1月18日 - 1996年5月20日)は、日本の医学者、精神科医。専門は、性格学、森田療法。鹿児島県出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
九州帝国大学出身 鹿児島県出身の九州帝国大学の出身者 全国の九州帝国大学の出身者 | ||
鹿児島県立川辺高等学校出身 全国の鹿児島県立川辺高等学校の出身者 | ||
25 | 高柳健次郎 静岡県 出身 | Wikipedia |
高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年1月20日 - 1990年7月23日)は、日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。 | ||
全国の静岡県出身者 | ||
東京工業大学出身 静岡県出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
26 | 五十嵐播水 兵庫県 姫路市 出身 | Wikipedia |
五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は兵庫県出身の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校を経て1923年に京都帝国大学(京都大学)医学部を卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の姫路市出身者 | ||
京都大学出身 兵庫県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
兵庫県立姫路西高等学校出身 全国の兵庫県立姫路西高等学校の出身者 | ||
27 | 近藤康男 愛知県 岡崎市 出身 | Wikipedia |
近藤 康男(こんどう やすお、1899年1月1日 - 2005年11月25日)は、日本の農業経済学者、東京大学名誉教授で、一時は農林省統計調査局長を兼任し、後には武蔵大学教授などを歴任した。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の岡崎市出身者 | ||
東京帝国大学出身 愛知県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
愛知県立岡崎高等学校出身 全国の愛知県立岡崎高等学校の出身者 | ||
28 | 野々山広三郎 長野県 出身 | Wikipedia |
野々山 広三郎(ののやま こうざぶろう、1899年1月4日 - 1985年8月8日)は日本の実業家。サッポロビール元社長。長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)生まれ。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
東京帝国大学出身 長野県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
長野県松本深志高等学校出身 全国の長野県松本深志高等学校の出身者 | ||
29 | 山田俊介 兵庫県 明石市 出身 | Wikipedia |
山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1969年7月1日)は、日本の政治家、内務官僚、従四位勲二等瑞宝章。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の明石市出身者 | ||
東京帝国大学出身 兵庫県出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
逗子開成高等学校出身 全国の逗子開成高等学校の出身者 | ||
30 | 桜井三郎 新潟県 出身 | Wikipedia |
桜井 三郎(さくらい さぶろう、1899年1月26日 - 1960年4月8日)は日本の政治家、官僚。熊本県知事や参議院議員を務めた。医学者・元参議院議員の高桑栄松は弟。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
京都大学出身 新潟県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
新潟県立巻高等学校出身 全国の新潟県立巻高等学校の出身者 | ||
31 | 西村熊雄 | Wikipedia |
西村 熊雄(にしむら くまお、1899年1月27日 - 1980年11月12日)は、日本の外交官。 | ||
佐賀県立佐賀西高等学校出身 全国の佐賀県立佐賀西高等学校の出身者 | ||
32 | 山田義見 佐賀県 出身 | Wikipedia |
山田 義見(やまだ よしみ、1899年(明治32年)1月13日 - 1991年(平成3年)5月3日)は、日本の元大蔵次官。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
東京帝国大学出身 佐賀県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
佐賀県立唐津東高等学校出身 全国の佐賀県立唐津東高等学校の出身者 | ||
33 | 十河佑貞 | Wikipedia |
十河 佑貞(そごう すけさだ、1899年(明治32年) 1月4日 - 1989年(昭和64年) 1月7日 )は、日本の西洋史学者。専門は、ドイツ近世史。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
香川県立高松高等学校出身 全国の香川県立高松高等学校の出身者 | ||
34 | 徳永直 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
徳永 直 (とくなが すなお、1899年(明治32年)1月20日 - 1958年(昭和33年)2月15日)は、熊本県飽託郡花園村(現熊本市西区)生まれの小説家。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
35 | 堀田庄三 | Wikipedia |
堀田 庄三(ほった しょうぞう、1899年1月23日 - 1990年12月18日)は日本の銀行家。住友銀行頭取を19年務め(1952年?1971年)、「住銀の法皇」と称された。住友家評議員会委員長、住友老壮会会長、日本航空元会長。勲一等旭日大綬章受章。元モルガン・スタンレー証券代表取締役会長の堀田健介は長男。大正製薬社長の上原明は二男。 | ||
信州大学出身 全国の信州大学の出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
36 | 関根賢 群馬県 出身 | Wikipedia |
関根 賢(せきね まさる、1899年1月20日 - ?)は、日本のヤクザ、実業家。関根組組長。関根建設社長。群馬県出身。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
37 | 野坂相如 東京都 出身 | Wikipedia |
野坂 相如(のさか すけゆき、明治32年(1899年)1月19日 - 昭和53年(1978年))は、日本の土木技術者、都市計画家。内務官僚として都市計画事業に手腕を揮い、戦後には新潟県副知事を務めた。息子は直木賞作家の野坂昭如。孫は作家、エッセイストの野坂麻央、女優の愛耀子(共に元宝塚歌劇団娘役)、株式会社ジャパンダイニングリンク(英語表記:Japan Dining Link Co., ltd.)代表取締役の野坂龍。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
38 | 池田政鋹 | Wikipedia |
池田 政鋹(いけだ まさとし、1899年(明治32年)1月30日 - 1945年(昭和20年)7月17日)は、日本の官僚、政治家。貴族院議員、子爵。従四位勲四等、研究会所属。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
39 | 佐藤得二 | Wikipedia |
佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
岩手県立盛岡第一高等学校出身 全国の岩手県立盛岡第一高等学校の出身者 |
スポンサーリンク
40 | 赤尾敏 | Wikipedia |
赤尾 敏(あかお びん、1899年(明治32年)1月15日 - 1990年(平成2年)2月6日)は、日本の保守政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。 | ||
愛知県立津島高等学校出身 全国の愛知県立津島高等学校の出身者 | ||
41 | 尾高朝雄 | Wikipedia |
尾高 朝雄(おたか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者。専門は法哲学。日本統治下にあった朝鮮の釜山府生まれ。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
42 | 佐藤輝夫 徳島県 出身 | Wikipedia |
佐藤 輝夫(さとう てるお、1899年1月10日 - 1994年4月13日)は日本のフランス文学者、中世フランス文学研究で著名。 | ||
全国の徳島県出身者 | ||
早稲田大学出身 徳島県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
43 | 川浪良太 福岡県 出身 | Wikipedia |
川浪 良太(かわなみ りょうた、1899年2月12日 - 1932年)は、日本の映画監督、脚本家である。阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画で監督としてデビュー、マキノ・プロダクションでも短期間に多くの現代劇を監督した。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
早稲田大学出身 福岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
44 | 楠瀬常猪 広島県 出身 | Wikipedia |
楠瀬 常猪(くすのせ つねい、1899年2月10日 - 1988年6月18日)は、日本の政治家。元参議院議員、初代公選広島県知事である。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
一橋大学出身 広島県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
45 | 足立全康 島根県 安来市 出身 | Wikipedia |
足立 全康(あだち ぜんこう、男性、1899年(明治32年)2月8日 - 1990年(平成2年)12月19日)は日本の実業家。島根県能義郡飯梨村字古川(現・安来市古川町)出身。 | ||
全国の島根県出身者 全国の安来市出身者 | ||
46 | 米谷隆三 岡山県 倉敷市 出身 | Wikipedia |
米谷 隆三(まいたに りゅうぞう、1899年2月11日 - 1958年5月3日)は、岡山県出身の法学者。専門は商法、保険学。1955年「約款法の理論」で日本学士院賞受賞。 | ||
全国の岡山県出身者 全国の倉敷市出身者 | ||
一橋大学出身 岡山県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
岡山県立岡山朝日高等学校出身 全国の岡山県立岡山朝日高等学校の出身者 | ||
47 | 宮本百合子 | Wikipedia |
宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返した。 | ||
日本女子大学出身 全国の日本女子大学の出身者 | ||
お茶の水女子大学附属高等学校出身 全国のお茶の水女子大学附属高等学校の出身者 | ||
48 | 兼六山鉄太郎 石川県 金沢市 出身 | Wikipedia |
兼六山 鉄太郎(けんろくざん てつたろう、本名:久田 末吉(ひさだ すえきち)、1899年2月20日 - 1967年1月4日)は、石川県金沢市出身の元大相撲力士。身長183cm、体重98kg。所属は浦風部屋から立浪部屋。最高位は西前頭13枚目(1926年5月場所)。 | ||
全国の石川県出身者 全国の金沢市出身者 | ||
49 | 山田正平 | Wikipedia |
山田 正平(やまだ しょうへい、明治32年(1899年)2月1日 - 昭和37年(1962年)8月16日)は、新潟県出身の篆刻家。「昭和の代表的篆刻家」。 | ||
二松學舍大学出身 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
50 | 阿波野青畝 奈良県 高取町 出身 | Wikipedia |
阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギスの四S」と称された。「かつらぎ」主宰。 | ||
全国の奈良県出身者 全国の高取町出身者 | ||
奈良県立畝傍高等学校出身 全国の奈良県立畝傍高等学校の出身者 | ||
51 | 岸田日出刀 鳥取県 出身 | Wikipedia |
岸田 日出刀(きしだ ひでと、1899年2月6日 - 1966年5月3日)は、日本の建築学者。造形意匠の権威。 | ||
全国の鳥取県出身者 | ||
東京大学出身 鳥取県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
52 | 兼岩伝一 愛知県 出身 | Wikipedia |
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
東京大学出身 愛知県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
53 | 佐保田鶴治 福井県 鯖江市 出身 | Wikipedia |
佐保田 鶴治(さほだ つるじ、1899年2月11日- 1986年9月11日)は、日本の宗教学者、哲学者。大阪大学名誉教授、文学博士。インド哲学・宗教学専攻。 | ||
全国の福井県出身者 全国の鯖江市出身者 | ||
京都大学出身 福井県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
54 | 藤原啓 岡山県 備前市 出身 | Wikipedia |
藤原 啓(ふじわら けい、1899年2月28日 - 1983年11月12日)は日本の陶芸家。1970年に人間国宝に認定。本名は敬二。藤原雄は長男、藤原敬介(きょうすけ)は次男。 | ||
全国の岡山県出身者 全国の備前市出身者 | ||
岡山県立和気閑谷高等学校出身 全国の岡山県立和気閑谷高等学校の出身者 | ||
55 | 今村忠助 長野県 出身 | Wikipedia |
今村 忠助(いまむら ちゅうすけ、1899年2月 - 1954年12月16日)は、衆議院議員(4期)。自由党吉田派。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
56 | 小林中 山梨県 出身 | Wikipedia |
小林 中(こばやし あたる、1899年(明治32年)2月17日 ? 1981年(昭和56年)10月28日)は日本の実業家。初代日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)総裁。戦後の財界において影の財界総理と称されるほどの実力者であった。愛称はコバチュー。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
早稲田大学出身 山梨県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
山梨県立甲府第一高等学校出身 全国の山梨県立甲府第一高等学校の出身者 | ||
57 | 山手樹一郎 栃木県 黒磯町 出身 | Wikipedia |
山手 樹一郎(やまて きいちろう、1899年2月11日 - 1978年3月16日)は、日本の小説家。 | ||
全国の栃木県出身者 全国の黒磯町出身者 | ||
明治大学付属明治高等学校出身 全国の明治大学付属明治高等学校の出身者 | ||
58 | 矢野一郎 東京都 出身 | Wikipedia |
矢野 一郎(やの いちろう、1899年2月7日 - 1995年4月17日)は、日本の実業家(元第一生命会長)、剣道家(剣道範士)。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
59 | 島田清次郎 石川県 白山市 出身 | Wikipedia |
嶋田 清次郎(しまだ せいじろう、1899年(明治32年)2月26日 - 1930年(昭和5年)4月29日)は、日本の小説家。文壇で有名であった時代には「島清」という略称でも呼ばれた。 | ||
全国の石川県出身者 全国の白山市出身者 | ||
明治学院大学出身 石川県出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
石川県立金沢錦丘高等学校出身 全国の石川県立金沢錦丘高等学校の出身者 |
スポンサーリンク
60 | 田河水泡 東京都 出身 | Wikipedia |
田河 水泡(たがわ すいほう、1899年(明治32年)2月10日 - 1989年(平成元年)12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。本名、高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。 昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
61 | 東畑精一 三重県 出身 | Wikipedia |
東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。専攻は農業経済学。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
東京大学出身 三重県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
三重県立津高等学校出身 全国の三重県立津高等学校の出身者 | ||
62 | 山田勇助 山形県 出身 | Wikipedia |
山田 勇助(やまだ ゆうすけ、1899年(明治32年)2月22日 - 1942年(昭和17年)11月13日)は、日本の海軍軍人。水雷艇「千鳥」艇長として友鶴事件に際会。太平洋戦争において第六駆逐隊司令として第三次ソロモン海戦で戦死した。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
63 | 水島三一郎 | Wikipedia |
水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年3月21日 - 1983年8月3日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。専門は構造化学・分子構造・分子科学。分子構造論の世界的先駆者。日本学士院会員。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
64 | 新田義美 | Wikipedia |
新田 義美(にった よしてる、1899年3月2日 - 1969年11月20日)は、昭和時代の華族、男爵。 | ||
明治大学出身 全国の明治大学の出身者 | ||
65 | 石川淳 | Wikipedia |
石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家。東京府浅草区生まれ。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎先生の名で親しまれた。本名淳(きよし)。 | ||
東京外国語大学出身 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
京華高等学校出身 全国の京華高等学校の出身者 | ||
66 | 鳥井森鈴 秋田県 五城目町 出身 | Wikipedia |
鳥井 森鈴(とりい しんれい、1899年3月18日[2][3] - 1979年3月8日[2][3]は、秋田県生まれの民謡歌手である[3]。秋田民謡『秋田追分』の作者[2]。本名は儀助(ぎすけ)[2]。森鈴という芸名は、五城目町のシンボル的な里山である[4]森山に生息するスズムシの鳴き声のような美しい歌声という意味[2]。 | ||
全国の秋田県出身者 全国の五城目町出身者 | ||
67 | 野津謙 | Wikipedia |
野津 謙(のづ ゆずる、1899年3月12日 - 1983年8月27日)は、広島県広島市出身の医師(小児科医)、医学博士。サッカー選手、サッカー指導者でもあり、第4代日本サッカー協会会長、アジアサッカー連盟副会長、国際サッカー連盟理事を歴任した。元日本損害保険協会会長の河野俊二は甥に当たる。 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
68 | 高木幹夫 | Wikipedia |
高木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 1966年8月14日)は、日本の実業家。元東京海上火災保険社長。 | ||
明星大学出身 全国の明星大学の出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
69 | 宮沢俊義 長野県 長野市 出身 | Wikipedia |
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。 | ||
全国の長野県出身者 全国の長野市出身者 | ||
東京帝国大学出身 長野県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
長野県長野高等学校出身 全国の長野県長野高等学校の出身者 | ||
70 | 時雨音羽 北海道 利尻町 出身 | Wikipedia |
時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年)7月25日)は、昭和期の作詞家。出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの おときち)であるが、1961年(昭和44年)に筆名を本名に改名したため、没年時の本名も時雨音羽である。 | ||
全国の北海道出身者 全国の利尻町出身者 | ||
71 | 宮澤俊義 長野県 出身 | Wikipedia |
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
東京大学出身 長野県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
72 | 大川光三 大阪府 出身 | Wikipedia |
大川光三(おおかわ みつぞう、1899年3月30日-1965年11月7日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。衆議院議員(2期)。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
関西大学出身 大阪府出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 | ||
73 | 守随憲治 | Wikipedia |
守随 憲治(しゅずい けんじ、1899年3月10日 - 1983年2月7日)は、近世日本文学研究者、東京大学教養学部・実践女子大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立両国高等学校出身 全国の東京都立両国高等学校の出身者 | ||
74 | 山岡憲一 広島県 安佐郡高陽町 出身 | Wikipedia |
山岡 憲一(やまおか けんいち、1899年(明治32年)3月23日 - 1995年(平成7年)11月27日)は、日本の実業家。JUKI実質創業者。広島県安佐郡高陽町狩留家(現在の広島市安佐北区)出身。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 安佐郡高陽町出身者 | ||
75 | 香川綾 和歌山県 出身 | Wikipedia |
香川 綾(かがわ あや、1899年3月28日 - 1997年4月2日)は、香川栄養学園の創始者。医学博士。日本における栄養学の普及に多大なる功績を残した。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
和歌山大学出身 和歌山県出身の和歌山大学の出身者 全国の和歌山大学の出身者 | ||
76 | 高田正 北海道 出身 | Wikipedia |
高田 正(たかだ ただし、1899年3月26日 - 1947年1月6日)は、日本の裁判官。ゾルゲ事件で裁判長を務めた。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
東京大学出身 北海道出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
77 | 三和義勇 岡山県 出身 | Wikipedia |
三和 義勇(みわ よしたけ、1899年(明治32年)4月26日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。海兵48期。最終階級は海軍少将。テニアン島で戦死。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
海軍兵学校出身 岡山県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
78 | 肥後和男 茨城県 大子町 出身 | Wikipedia |
肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 - 1981年(昭和56年)2月24日)は、日本の歴史学者。東京教育大学文理科教授、東京教育大学名誉教授。日本古代史の重鎮であった。茨城県大子町出身。従三位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の茨城県出身者 全国の大子町出身者 | ||
京都帝国大学出身 茨城県出身の 京都帝国大学の出身者 全国の 京都帝国大学の出身者 | ||
福岡県立東筑高等学校出身 全国の福岡県立東筑高等学校の出身者 | ||
79 | 城英一郎 | Wikipedia |
城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 |
スポンサーリンク
80 | 兵頭精 愛媛県 出身 | Wikipedia |
兵頭 精(ひょうどう ただし、1899年4月6日 - 1980年4月23日)は、日本の女性パイロット。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
81 | 久松定武 | Wikipedia |
久松 定武(ひさまつ さだたけ、1899年(明治32年)4月29日 - 1995年(平成7年)6月7日)は、日本の政治家。愛媛県知事。位階は正四位。勲等は勲二等。爵位は伯爵。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
82 | 小池政恩 | Wikipedia |
小池 政恩(こいけ せいおん、1899年4月 - 1963年12月20日)は、日蓮宗僧侶、衆議院議員(1期)。息子は三島市長の小池政臣、孫は衆議院議員の小池政就。 | ||
法政大学出身 全国の法政大学の出身者 | ||
83 | 吉野源三郎 | Wikipedia |
吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
84 | 水谷一生 三重県 出身 | Wikipedia |
水谷 一生(みずたに かずお、1899年(明治32年)4月22日 - 1949年(昭和24年)11月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 三重県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
三重県立四日市高等学校出身 全国の三重県立四日市高等学校の出身者 | ||
85 | 代田稔 長野県 飯田市 出身 | Wikipedia |
代田 稔(しろた みのる、1899年4月23日 - 1982年3月10日)は日本の医学博士、実業家。ヤクルトの開発者で実質的な創業者。長野県下伊那郡竜丘村(現飯田市)出身。 | ||
全国の長野県出身者 全国の飯田市出身者 | ||
京都大学出身 長野県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
長野県飯田高等学校出身 全国の長野県飯田高等学校の出身者 | ||
86 | 有賀鉄太郎 大阪府 出身 | Wikipedia |
有賀 鉄太郎(ありが てつたろう、1899年4月1日 - 1977年5月25日)は、日本のプロテスタント神学者、教会史・教理史学者。大阪府出身。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
同志社大学出身 大阪府出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
87 | 関根正二 福島県 出身 | Wikipedia |
関根 正二(せきね しょうじ、本名読み:まさじ、1899年4月3日 - 1919年6月16日)は、日本の洋画家である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
88 | 吉野せい 福島県 出身 | Wikipedia |
吉野 せい(よしの せい、1899年4月15日 - 1977年11月4日)は日本の文筆家。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
89 | 千田正 岩手県 金ケ崎町 出身 | Wikipedia |
千田 正(ちだ ただし、1899年4月28日 - 1983年2月5日)は、日本の政治家。 | ||
全国の岩手県出身者 全国の金ケ崎町出身者 | ||
早稲田大学出身 岩手県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
岩手県立水沢農業高等学校出身 全国の岩手県立水沢農業高等学校の出身者 | ||
90 | 城 英一郎 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
91 | 黒田寿男 | Wikipedia |
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、岡山県出身の日本の政治家、1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。弁護士。 | ||
岡山大学出身 全国の岡山大学の出身者 | ||
92 | 赤間文三 福岡県 出身 | Wikipedia |
赤間 文三(あかま ぶんぞう、1899年5月31日 ? 1973年5月2日)は、日本の政治家。元大阪府知事。佐藤内閣で法務大臣(24代)。大阪府知事時代は安井誠一郎東京都知事とともに、1950年代における都道府県知事のボス的存在として君臨し、赤間天皇の異名を奉られた。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
山口大学出身 福岡県出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
93 | 及川貞 東京都 出身 | Wikipedia |
及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日 - 1993年(昭和61年)11月13日)は日本の女流俳人。旧姓は野並(のなみ)。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京都立駒場高等学校出身 全国の東京都立駒場高等学校の出身者 | ||
94 | 滝野啓次郎 北海道 出身 | Wikipedia |
滝野啓次郎(たきの けいじろう、1899年(明治32年)5月10日 - 1973年(昭和48年)1月13日)は、日本の政治家・実業家。北海道旭川市出身。北海道北見市長(1963年 - 1967年、1期)。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
北海道旭川東高等学校出身 全国の北海道旭川東高等学校の出身者 | ||
95 | 広田寿一 京都府 出身 | Wikipedia |
廣田 壽一(ひろた ひさかず、1899年5月7日 - 1984年1月15日)は昭和期の実業家。住友金属工業元社長・会長。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
京都大学出身 京都府出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
96 | 塩田良平 | Wikipedia |
塩田 良平(しおだ りょうへい、1899年〈明治32年〉5月25日 - 1971年〈昭和46年〉11月28日)は、日本の国文学者。随筆家。元二松学舎大学学長。近代文学が専門で、代表的な著書に「近代日本文学論」「山田美妙研究」「樋口一葉研究」「明治女流作家論」「明治文学論考」「日本文学論考」、随筆集「妻の記」「おゆき」「夜開花」などがある。また、多くの文庫本に解説を書いている。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
97 | 山下英男 東京都 出身 | Wikipedia |
山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 1993年5月27日)は、電気通信工学者。東京生まれ。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
98 | 豊嶋弥左衛門 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
豊嶋 弥左衛門(てしま やざえもん、旧字体:豐嶋 彌左衞門、1899年(明治32年)5月1日 - 1978年(昭和53年)1月3日 )は、シテ方金剛流能楽師。重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は豊嶋 弥平(てしま やへい)、前名は豊嶋 一(てしま はじめ)。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 広島市出身者 | ||
99 | 稲ノ森勉 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
稲ノ森勉(いねのもりつとむ、1899年5月17日-1963年7月20日)は、入間川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は古閑勉。熊本県熊本市出身。173cm、94kg。最高位は東前頭14枚目。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 |
スポンサーリンク
100 | 上田桑鳩 | Wikipedia |
上田 桑鳩(うえだ そうきゅう、1899年5月11日 - 1968年9月4日)は兵庫県三木市(旧美嚢郡吉川町)奥谷出身の書道家である。 | ||
二松學舍大学出身 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
101 | 川俣清音 北海道 出身 | Wikipedia |
川俣 清音(かわまた せいおん、明治32年(1899年)5月15日?昭和48年(1973年)12月7日)は、大正、昭和期の日本の社会運動家、農民運動家、政治家。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
早稲田大学出身 北海道出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
102 | 田上義也 栃木県 出身 | Wikipedia |
田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日 - 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
早稲田大学出身 栃木県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
103 | 萩原恭次郎 群馬県 前橋市 出身 | Wikipedia |
萩原 恭次郎(はぎわら きょうじろう、1899年(明治32年)5月23日 - 1938年(昭和13年)11月22日)は、大正・昭和時代の詩人。大正末期の芸術革命の先頭に立ち、はじめはダダイストとして活動したが、のちアナーキズム運動に傾倒。若くしてこの世を去った。詩集『死刑宣告』、詩篇「もうろくずきん」「亜細亜に巨人あり」などの作品で知られる。 | ||
全国の群馬県出身者 全国の前橋市出身者 | ||
104 | 上原専禄 京都府 出身 | Wikipedia |
上原 専禄(上原 專祿、うえはら せんろく、1899年5月21日 - 1975年10月28日)は歴史学者。専門は中世ヨーロッパ史。元一橋大学社会学部教授。 | ||
全国の京都府出身者 | ||
一橋大学出身 京都府出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
愛媛県立松山東高等学校出身 全国の愛媛県立松山東高等学校の出身者 | ||
105 | 青柳瑞穂 | Wikipedia |
青柳 瑞穂(あおやぎ みずほ、1899年5月29日 - 1971年12月15日、男性)は、山梨県出身の仏文学者、詩人、美術評論家、骨董品収集・随筆でも著名であった。ピアニストの青柳いづみこ(大阪音楽大学教授)は、直系の孫である。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
山梨県立甲府第一高等学校出身 全国の山梨県立甲府第一高等学校の出身者 | ||
106 | 石川準十郎 岩手県 出身 | Wikipedia |
石川 準十郎(いしかわ じゅんじゅうろう、1899年(明治32年)6月1日 - 1980年(昭和55年)2月22日)は、日本の思想家、活動家。戦前・戦後にかけ、一貫して国家社会主義者として活動した。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
早稲田大学出身 岩手県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
107 | 山崎覚太郎 富山県 出身 | Wikipedia |
山崎 覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 - 1984年3月1日)は、漆芸家。富山県出身。 | ||
全国の富山県出身者 | ||
東京美術学校出身 富山県出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
富山県立高岡工芸高等学校出身 全国の富山県立高岡工芸高等学校の出身者 | ||
108 | 川端康成 | Wikipedia |
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
大阪府立茨木高等学校出身 全国の大阪府立茨木高等学校の出身者 | ||
109 | 皇至道 滋賀県 東近江市 出身 | Wikipedia |
皇 至道(すめらぎ しどう、1899年(明治32年)6月19日 - 1988年(昭和63年)9月27日)は滋賀県出身の教育学者。長年にわたり、多くの教育者、教育学者を育成した。1973年(昭和48年)に勲二等瑞宝章を受章。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の東近江市出身者 | ||
110 | 丸山薫 | Wikipedia |
丸山 薫(まるやま かおる、1899年(明治32年)6月8日 - 1974年(昭和49年)10月21日)は、日本の詩人。男性。 | ||
東京海洋大学出身 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
愛知県立時習館高等学校出身 全国の愛知県立時習館高等学校の出身者 | ||
111 | 田中三郎 広島県 広島市 出身 | Wikipedia |
田中 三郎(たなか さぶろう、1899年6月4日 - 1965年8月6日)は、映画雑誌『キネマ旬報』創立者。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 広島市出身者 | ||
東京工業大学出身 広島県出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
112 | 二川文太郎 | Wikipedia |
二川 文太郎(ふたがわ ぶんたろう、1899年6月18日 - 1966年3月28日)は、日本の映画監督、脚本家である。脚本家としての名は紫之塚 乙馬(しのづか おつま)、駒田 通(こまだ とおる)である。阪東妻三郎主演、無声映画史上の傑作と呼ばれる『雄呂血』の監督として知られる。 | ||
中央大学出身 全国の中央大学の出身者 | ||
113 | 山田秀三 東京都 出身 | Wikipedia |
山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年6月30日- 1992年7月28日)は、日本のアイヌ語地名研究家、官僚、実業家。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
114 | 柴田兵一郎 岩手県 出身 | Wikipedia |
柴田 兵一郎(しばた ひょういちろう、明治32年(1899年)6月 - 昭和51年(1976年)3月30日)は、貴族院多額納税者議員、衆議院議員。正四位勲二等、同和会所属。 | ||
全国の岩手県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 岩手県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
115 | 澤山収蔵 熊本県 宇土市 出身 | Wikipedia |
澤山 収蔵(さわやま しゅうぞう、1899年(明治32年)6月27日 - 1984年(昭和59年))は、日本の居合道家。流派は伯耆流。段位は全日本剣道連盟居合道範士八段。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の宇土市出身者 | ||
116 | 左藤義詮 三重県 出身 | Wikipedia |
左藤 義詮(さとう ぎせん、1899年6月3日 - 1985年1月9日)は、三重県出身の日本の政治家。衆議院議員、参議院議員、防衛庁長官(第9代)、大阪府知事。学校法人大谷学園理事長(第2代)。郵政大臣、法務大臣、国土庁長官を歴任した左藤恵は息子。 | ||
全国の三重県出身者 | ||
京都大学出身 三重県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
117 | 渡辺邦男 静岡県 三島市・旧田方郡三島町 出身 | Wikipedia |
渡辺 邦男(わたなべ くにお、1899年(明治32年)6月3日 - 1981年(昭和56年)11月5日)は、大正・昭和期の俳優、映画監督。 | ||
全国の静岡県出身者 全国の三島市・旧田方郡三島町出身者 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
静岡県立沼津東高等学校出身 全国の静岡県立沼津東高等学校の出身者 | ||
118 | 木野崎吉郎 | Wikipedia |
木野崎 吉郎(きのさき よしお、1899年6月2日?1981年10月1日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)生まれ。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
119 | 武井武 | Wikipedia |
武井 武(たけい たけし、1899年7月15日 - 1992年3月12日)は、電気化学者。東京工業大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授。理学博士(東北帝国大学、1932年)。埼玉県北足立郡与野町(現・さいたま市中央区)生まれ。 | ||
東京工業大学出身 全国の東京工業大学の出身者 | ||
埼玉県立浦和高等学校出身 全国の埼玉県立浦和高等学校の出身者 |
スポンサーリンク
120 | 真野房子 広島県 出身 | Wikipedia |
真野 房子(まの ふさこ、1899年7月15日 - 1986年12月22日)は、日本の美容家、教育者。日本に於ける洋髪美容の先駆者の一人で、真野美容専門学校設立者。 旧姓・畦地、本名・フサコ。広島県世羅郡東村(現世羅町)出身。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
広島県立世羅高等学校出身 全国の広島県立世羅高等学校の出身者 | ||
121 | 吉益脩夫 岐阜県 大垣市 出身 | Wikipedia |
吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年7月11日 - 1974年7月14日)は、岐阜県大垣市出身の医学者であり精神科医である。犯罪学や精神鑑定など幅広く活用されている犯罪生活曲線の開発者である。 | ||
全国の岐阜県出身者 全国の大垣市出身者 | ||
岡山大学出身 岐阜県出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
岐阜県立大垣北高等学校出身 全国の岐阜県立大垣北高等学校の出身者 | ||
122 | 右城暮石 高知県 出身 | Wikipedia |
右城 暮石(うしろ ぼせき、1899年7月16日 - 1995年8月9日)は、高知県出身の俳人。長岡郡本山町字古田小字暮石に生まれる。本名は斎(いつき)で、俳号の暮石は出身地の小字の名による。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
123 | 木内信胤 東京都 出身 | Wikipedia |
木内 信胤(きうち のぶたね、1899年7月30日 - 1993年12月5日)は、日本の経済評論家。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
筑波大学附属高等学校出身 全国の筑波大学附属高等学校の出身者 | ||
124 | 篠田弘作 富山県 富山市 出身 | Wikipedia |
篠田 弘作(しのだ こうさく、1899年7月27日 - 1981年11月11日)は、日本の政治家。衆議院議員11期、自治大臣。1974年勲一等旭日大綬章受章。北海道苫小牧市名誉市民(1981年)。 | ||
全国の富山県出身者 全国の富山市出身者 | ||
早稲田大学出身 富山県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
125 | 富田直亮 熊本県 出身 | Wikipedia |
富田 直亮(とみた なおすけ、1899年(明治32年)7月27日 - 1979年(昭和54年)4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将(日本)、陸軍上将(中華民国)。熊本県出身。陸士32期。陸大39期。日中戦争後、台湾で中華民国国軍の軍事顧問団(白団)の団長を務めた。 晩年の秘書は阿尾博政。 遺骨は分骨され、日本と台湾新北市の樹林にある海明禅寺に安置されている。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
126 | 近野信雄 山形県 出身 | Wikipedia |
近野 信雄(こんの のぶお、1899年7月23日 - 1944年3月13日)は、山形県出身の大日本帝国海軍軍人。海軍兵学校48期卒業。太平洋戦争中に護送船団を指揮するが戦死。最終階級は海軍少将。従四位勳二等。米沢海軍武官会会員。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
山形県立米沢興譲館高等学校出身 全国の山形県立米沢興譲館高等学校の出身者 | ||
127 | 壺井栄 香川県 出身 | Wikipedia |
壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
128 | 川鍋秋蔵 埼玉県 出身 | Wikipedia |
川鍋 秋蔵(かわなべ あきぞう、1899年8月29日 - 1983年9月30日)は、日本の実業家。グループ売上高では日本最大のハイヤー・タクシー会社である日本交通株式会社の創業者である。ハイタク事業以外でも、東京急行電鉄の創業者・五島慶太と盟友関係にあり、東急グループ傘下に入った自動車メーカーである日本内燃機・オオタ自動車工業や、英国車の輸入販売大手であった日英自動車の経営にも当たった。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
129 | 小林武治 長野県 小諸市 出身 | Wikipedia |
小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月28日 - 1988年(昭和63年)10月12日)は、昭和期の政治家。静岡県知事・厚生大臣・郵政大臣・法務大臣。参議院議員3期。 | ||
全国の長野県出身者 全国の小諸市出身者 | ||
東京大学出身 長野県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
長野県野沢北高等学校出身 全国の長野県野沢北高等学校の出身者 | ||
130 | 加藤辨三郎 島根県 出身 | Wikipedia |
加藤 辨(弁)三郎(かとう べんざぶろう、明治32年(1899年)8月10日 - 昭和58年(1983年)8月15日)は日本の実業家。協和発酵工業(現・協和発酵キリン)会長。従三位勲一等工学博士。 | ||
全国の島根県出身者 | ||
131 | 松方三郎 | Wikipedia |
松方 三郎(まつかた さぶろう、1899年(明治32年)8月1日 - 1973年(昭和48年)9月15日)は、日本の登山家、ジャーナリスト、実業家。ボーイスカウト日本連盟第6代総長。共同通信社専務理事、東京ロータリークラブ会長。従三位勲一等。松方家第3代当主。本名は義三郎[1]。筆名として「後藤信夫」(G.N.)など。 | ||
京都大学出身 全国の京都大学の出身者 | ||
132 | 川石酒造之助 兵庫県 出身 | Wikipedia |
川石 酒造之助(かわいし みきのすけ、1899年8月13日 - 1969年1月30日)は日本の柔道家(講道館7段)。兵庫県姫路市出身。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
早稲田大学出身 兵庫県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
兵庫県立姫路西高等学校出身 全国の兵庫県立姫路西高等学校の出身者 | ||
133 | 横尾泥海男 | Wikipedia |
横尾 泥海男(よこお でかお、1899年8月9日 - 1956年7月5日)は、日本の俳優である[3]。本名は横尾 勇(よこお いさむ)[3]。松竹蒲田撮影所、東宝などの喜劇映画で活躍した名脇役である。 | ||
東京芸術大学出身 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
麻布高等学校出身 全国の麻布高等学校の出身者 | ||
134 | 風早八十二 岡山県 出身 | Wikipedia |
風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上は8月24日) - 1989年6月18日)は、日本の法学者。専門は刑事法、社会政策。衆議院議員(1949年1月-1952年7月)、弁護士(登録は1949年12月8日)。岡山県出身。1922年、東京帝国大学法学部卒業。 | ||
全国の岡山県出身者 | ||
135 | 小堀保三郎 栃木県 出身 | Wikipedia |
小堀 保三郎(こぼり やすざぶろう、1899年8月25日 - 1975年8月30日)は日本の実業家ならびに自動車技術者。現代において世界中の自動車に至極当然のように装着されているエアバッグを発明した第一人者である。2006年、特定非営利活動法人「日本自動車殿堂」に殿堂入り。 | ||
全国の栃木県出身者 | ||
136 | 小野瀬忠兵衛 茨城県 出身 | Wikipedia |
小野瀬 忠兵衛(おのせ ちゅうべえ、明治32年(1899年)8月 - 昭和52年(1977年)12月11日)は、衆議院議員(3期)、実業家。黄綬褒章、紺綬褒章を受章。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
茨城県立土浦第一高等学校出身 全国の茨城県立土浦第一高等学校の出身者 | ||
137 | 杉原荒太 佐賀県 出身 | Wikipedia |
杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 ? 1982年1月20日)は、日本の政治家・外交官。参議院議員4期。防衛庁長官。勲一等瑞宝章。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
大阪市立大学出身 佐賀県出身の大阪市立大学の出身者 全国の大阪市立大学の出身者 | ||
138 | 鈴木正文 山梨県 出身 | Wikipedia |
鈴木 正文(すずき まさふみ / まさぶみ、1899年8月30日 - 1978年5月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。衆議院議員、労働大臣。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
早稲田大学出身 山梨県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
139 | 小室達 宮城県 柴田町 出身 | Wikipedia |
小室 達(こむろ とおる、1899年(明治32年)8月10日 - 1953年(昭和28年)6月18日)は、日本の彫刻家。 | ||
全国の宮城県出身者 全国の柴田町出身者 | ||
東京芸術大学出身 宮城県出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
宮城県白石高等学校出身 全国の宮城県白石高等学校の出身者 |
スポンサーリンク
140 | 木川田一隆 | Wikipedia |
木川田 一隆(きがわだ かずたか、男性、1899年8月23日 ? 1977年3月4日)は、1950年代から1960年代にかけて活躍した日本の実業家。東京電力社長や、経済同友会代表幹事(1960年〜1962年(複数代表幹事制)、1963年〜1975年)を歴任した。「企業の社会的責任」を唱導した、哲人的財界人として名を残している。 | ||
山形大学出身 全国の山形大学の出身者 | ||
宮城県角田高等学校出身 全国の宮城県角田高等学校の出身者 | ||
141 | 柴田等 宮崎県 出身 | Wikipedia |
柴田 等(しばた ひとし、1899年8月12日 - 1974年2月17日)は、昭和期の農林官僚。戦後、千葉県知事となる。宮崎県出身。 | ||
全国の宮崎県出身者 | ||
京都大学出身 宮崎県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
142 | 茂木啓三郎 千葉県 出身 | Wikipedia |
茂木 啓三郎(もぎ けいざぶろう、1899年8月5日 - 1993年8月16日)は、日本の実業家。キッコーマン中興の祖。同社社長として、個人醸造家の集合体を近代経営化し業界トップ化した。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
一橋大学出身 千葉県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
千葉県立成東高等学校出身 全国の千葉県立成東高等学校の出身者 | ||
143 | 長崎ミツヱ 熊本県 熊本市 出身 | Wikipedia |
長崎 ミツヱ(ながさき みつえ、1899年(明治32年)9月18日 - 2013年(平成25年)6月17日)は、日本の女性であり、2011年8月から広島県内最高齢だった女性。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の熊本市出身者 | ||
144 | 野口弥吉 東京都 出身 | Wikipedia |
野口 弥吉(のぐち やきち、1899年9月14日 - 2002年2月23日)は、日本の作物学者、東京大学名誉教授。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
145 | 大場磐雄 東京都 出身 | Wikipedia |
大場 磐雄(おおば いわお、1899年9月3日 - 1975年6月7日)は、日本の考古学者。元國學院大學教授。文学博士。旧姓は谷川だが、昭和3年(1928年)、母方の大場家を相続し、以後、大場姓となる。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
國學院大學出身 東京都出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
正則高等学校出身 全国の正則高等学校の出身者 | ||
146 | 濱口巌根 東京都 出身 | Wikipedia |
浜口 巌根(はまぐち いわね 1899年9月21日 - 1976年11月8日)は、元日本長期信用銀行頭取。東京府出身。勲二等旭日重光章。妻は水町袈裟六の娘。長女・郁子は楢崎泰昌(参議院議員、北海道開発事務次官、大蔵官僚)に、次女・英子は古沢潤一(輸銀総裁、日銀理事)の男に嫁いだ。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
147 | 村岡四郎 神奈川県 横浜市 出身 | Wikipedia |
村岡 四郎(むらおか しろう、1899年9月10日 - 1975年5月28日)は日本の実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の横浜市出身者 | ||
148 | 平井新 | Wikipedia |
平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000年3月9日)は、日本の社会思想史学者。慶應義塾大学経済学部長・大学院経済学研究科委員長・名誉教授・野球部長。福岡市出身 。 | ||
慶應義塾大学出身 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
福岡県立修猷館高等学校出身 全国の福岡県立修猷館高等学校の出身者 | ||
149 | 蔵原伸二郎 熊本県 阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市) 出身 | Wikipedia |
蔵原 伸二郎(くらはら しんじろう 1899年9月4日 - 1965年3月16日)は熊本県出身の詩人、作家、評論家。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市)出身者 | ||
慶應義塾大学出身 熊本県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
150 | 服部直彰 熊本県 出身 | Wikipedia |
服部 直彰(はっとり なおあき、1899年(明治32年)9月 - 1949年(昭和24年)10月17日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事、陸軍司政長官、中国地方副総監。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
151 | 坂本武 兵庫県 赤穂市 出身 | Wikipedia |
坂本 武(さかもと たけし、1899年9月21日 - 1974年5月10日)は、日本の俳優。本名は永石 武平。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の赤穂市出身者 | ||
152 | 柴有時 福島県 出身 | Wikipedia |
柴 有時(しば ありとき、1899年(明治32年)10月13日 - 1940年(昭和15年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。十月事件に関与し、二・二六事件では同事件関与の疑いで軍法会議に起訴されるが無罪となる。日中戦争で戦死。最終階級は陸軍中佐。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
153 | 千島喜久男 | Wikipedia |
千島 喜久男(ちしま きくお、1899年10月10日 - 1978年10月23日)は、日本の生物学者。医学博士。 | ||
岩手大学出身 全国の岩手大学の出身者 | ||
154 | 友田恭助 | Wikipedia |
友田 恭助(ともだ きょうすけ、1899年10月30日 - 1937年10月6日)は、日本の新劇俳優。本名、伴田 五郎。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
155 | 佐藤武夫 | Wikipedia |
佐藤 武夫(さとう たけお、1899年10月22日 - 1972年4月11日)は、日本の建築家。建築音響工学の先駆者。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
山口県立岩国高等学校出身 全国の山口県立岩国高等学校の出身者 | ||
156 | 加賀耿二 石川県 能美市(本名、谷口善太郎。別名、須井一。衆議院議員) 出身 | Wikipedia |
谷口 善太郎(たにぐち ぜんたろう、1899年10月15日 - 1974年6月8日)は日本の小説家、政治家である。衆議院議員(6期)。小説家としては、ペンネームの須井一(すい はじめ)・加賀耿二(かが こうじ)で知られることも多い。愛称は「谷善(たにぜん)」。 | ||
全国の石川県出身者 全国の能美市(本名、谷口善太郎。別名、須井一。衆議院議員)出身者 | ||
157 | 野口弥太郎 長崎県 諫早市 出身 | Wikipedia |
野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10月1日 - 1976年3月23日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
全国の長崎県出身者 全国の諫早市出身者 | ||
158 | 塩谷定好 鳥取県 琴浦町 出身 | Wikipedia |
塩谷 定好(しおたに ていこう、本名:しおたに さだよし、1899年10月22日 - 1988年10月28日)は、日本の写真家。 日本の芸術写真の分野で草分け的存在として活躍。大正時代に一世を風靡した単玉レンズのカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ベス単)を愛用し、「ベス単のフードはずし」と称された軟調描写(ソフトフォーカス)が作品の特徴。生まれ育った故郷を愛し、生涯にわたって山陰地方の自然を撮り続けた。 | ||
全国の鳥取県出身者 全国の琴浦町出身者 | ||
159 | 仁田勇 | Wikipedia |
仁田 勇(にった いさむ、1899年10月19日 - 1984年1月16日)は、日本の物理化学者。東京生まれ。大阪大学名誉教授、関西学院大学名誉教授。1966年文化勲章受章者。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
大阪大学出身 全国の大阪大学の出身者 |
スポンサーリンク
160 | 川口松太郎 | Wikipedia |
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。松田昌一の名で映画脚本も手がける。 | ||
城北高等学校出身 全国の城北高等学校の出身者 | ||
161 | 阪本勝 兵庫県 尼崎市 出身 | Wikipedia |
阪本 勝(さかもと まさる、1899年10月15日 - 1975年3月22日)は、大正・昭和期日本の政治家、戯曲作家、美術評論家。衆議院議員(1期)、兵庫県知事(2期)を歴任。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の尼崎市出身者 | ||
東京大学出身 兵庫県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
162 | 井口貞夫 和歌山県 出身 | Wikipedia |
井口 貞夫(いぐち さだお、1899年10月18日 - 1980年5月27日)は、日本の外交官。外務事務次官や在アメリカ合衆国特命全権大使を務めた。1969年勲一等瑞宝章。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
一橋大学出身 和歌山県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
163 | 山口華楊 | Wikipedia |
山口 華楊(やまぐち かよう、1899年10月3日 - 1984年3月16日)は、日本画家。京都府京都市中京区生まれ。写生中心の画風で、動物画を得意とした。本名は米次郎。 | ||
京都市立芸術大学出身 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
164 | 松村知勝 福井県 出身 | Wikipedia |
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
陸軍士官学校出身 福井県出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
東京都立戸山高等学校出身 全国の東京都立戸山高等学校の出身者 | ||
165 | 宮崎俊男 兵庫県 出身 | Wikipedia |
宮嵜 俊男(みやざき としお、1899年(明治32年)10月18日 - 1965年(昭和40年)4月7日)は、日本の海軍軍人。米駐在時代に情報活動に従事し、米国官憲に摘発され国外追放処分を受ける。太平洋戦争中、連合艦隊先任参謀に擬せられるが、山本五十六の戦死により実現しなかった。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
海軍兵学校出身 兵庫県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
166 | 浅利鶴雄 東京都 出身 | Wikipedia |
浅利 鶴雄(あさり つるお、1899年10月29日 - 1980年4月15日)は、東京都出身の演劇プロデューサー、俳優である。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
明治大学出身 東京都出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
明治大学付属明治高等学校出身 全国の明治大学付属明治高等学校の出身者 | ||
167 | 黛治夫 群馬県 出身 | Wikipedia |
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
全国の群馬県出身者 | ||
海軍兵学校出身 群馬県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
群馬県立富岡高等学校出身 全国の群馬県立富岡高等学校の出身者 | ||
168 | 川崎豊 広島県 出身 | Wikipedia |
川崎 豊(かわさき ゆたか、1899年(明治32年)10月21日 - 1990年(平成2年)10月8日)は、昭和初期の声楽家、歌手。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
169 | 小原重孝 北海道 出身 | Wikipedia |
小原 重孝(おばら しげたか、1899年10月24日 - 1971年7月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。小原 重厚と表記する文献も有る。 | ||
全国の北海道出身者 | ||
陸軍士官学校出身 北海道出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
北海道札幌南高等学校出身 全国の北海道札幌南高等学校の出身者 | ||
170 | 松本重治 | Wikipedia |
松本 重治(まつもと しげはる、1899年〈明治32年〉10月2日 - 1989年〈平成元年〉1月10日)は、日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」(東京都港区六本木)の専務理事。理事長。アメリカ学会の会長。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
兵庫県立神戸高等学校出身 全国の兵庫県立神戸高等学校の出身者 | ||
171 | 奥野信太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
奥野 信太郎(おくの しんたろう、1899年〈明治32年〉11月11日 - 1968年〈昭和43年〉1月15日)は、日本の中国文学者、随筆家。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
開成高等学校出身 全国の開成高等学校の出身者 | ||
172 | 大林良一 愛知県 出身 | Wikipedia |
大林 良一(おおばやし りょういち、1899年11月17日 -1988年10月18日 )は、日本の経済学者である。専門は、社会保障学、保険学。一橋大学名誉教授、第9代成城大学学長。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
一橋大学出身 愛知県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
173 | 江上トミ 熊本県 芦北郡田ノ浦町(現・葦北郡芦北町) 出身 | Wikipedia |
江上 トミ(えがみ トミ、1899年11月19日 - 1980年7月21日)は、日本の料理研究家。テレビ放送草創期より活躍した料理番組講師の草分けであり、日本の「料理研究家」の元祖。 | ||
全国の熊本県出身者 全国の芦北郡田ノ浦町(現・葦北郡芦北町)出身者 | ||
熊本県立第一高等学校出身 全国の熊本県立第一高等学校の出身者 | ||
174 | 大蔵貢 長野県 出身 | Wikipedia |
大蔵 貢(おおくら みつぎ、1899年11月22日 - 1978年9月15日)は活動写真の弁士、新東宝社長、大蔵映画社長。歌手近江俊郎の実兄[注釈 1]。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
175 | 辻直四郎 | Wikipedia |
辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者・言語学者で、日本におけるインド古典学研究を開拓し、業績は海外の学会でも高く評価された。 ヤジュル・ヴェーダ サーマ・ヴェーダ アタルヴァ・ヴェーダ (アーラニヤカ) (ウパニシャッド) | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
東京都立日比谷高等学校出身 全国の東京都立日比谷高等学校の出身者 | ||
176 | 水野成夫 静岡県 御前崎市 出身 | Wikipedia |
水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 1972年5月4日)は、日本の実業家。フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長。元日経連常任理事・経済団体連合会理事・経済同友会幹事。 | ||
全国の静岡県出身者 全国の御前崎市出身者 | ||
東京帝国大学出身 静岡県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
静岡県立静岡高等学校出身 全国の静岡県立静岡高等学校の出身者 | ||
177 | 麻生武治 東京都 出身 | Wikipedia |
麻生 武治(あそう たけはる、1899年11月21日 - 1993年5月30日)は日本のスキー選手、陸上競技選手、登山家。父親は日本銀行の理事であった。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
178 | 亘四郎 新潟県 三条市 出身 | Wikipedia |
亘 四郎(わたり しろう、1899年11月8日 - 1977年4月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(在任1946年 - 1966年)、新潟県知事(47代 - 48代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(在任1974年 - 1977年)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。 | ||
全国の新潟県出身者 全国の三条市出身者 | ||
ラトガーズ大学出身 新潟県出身のラトガーズ大学の出身者 全国のラトガーズ大学の出身者 | ||
新潟県立三条高等学校出身 全国の新潟県立三条高等学校の出身者 | ||
179 | 井村徳二 石川県 (衆議院議員、参議院議員、大和社長) 出身 | Wikipedia |
井村 徳二(いむら とくじ、1899年(明治32年)11月18日 - 1958年(昭和33年)10月27日)は、石川県出身の実業家、政治家。 | ||
全国の石川県出身者 全国の(衆議院議員、参議院議員、大和社長)出身者 |
スポンサーリンク
180 | 進藤英太郎 | Wikipedia |
進藤 英太郎(しんどう えいたろう、1899年11月10日 - 1977年12月18日)は、日本の俳優。本名は真藤 辰五郎。 | ||
福岡市立福翔高等学校出身 全国の福岡市立福翔高等学校の出身者 | ||
181 | 難波大助 山口県 出身 | Wikipedia |
難波 大助(なんば だいすけ、明治32年(1899年)11月7日 - 大正13年(1924年)11月15日)は、日本の共産主義者で虎ノ門事件で摂政宮を暗殺しようとした単独の極左テロリスト。襲撃は失敗したが、大審院でも天皇制否定の主張を曲げずに大逆罪で死刑に処された。大正期の反逆的な社会運動家で後の戦争の遠因になった。 | ||
全国の山口県出身者 | ||
早稲田大学高等学院出身 全国の早稲田大学高等学院の出身者 | ||
182 | 大友純 宮城県 出身 | Wikipedia |
大友 純(おおとも じゅん、明治32年(1899年)11月21日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。 | ||
全国の宮城県出身者 | ||
東京芸術大学出身 宮城県出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
183 | 本田親男 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 1980年7月30日)は、鹿児島県出身のジャーナリスト。元毎日新聞社社長、会長、最高顧問。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
早稲田大学出身 鹿児島県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
鹿児島県立甲南高等学校出身 全国の鹿児島県立甲南高等学校の出身者 | ||
184 | 田嶋一雄 和歌山県 海南市 出身 | Wikipedia |
田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 1985年11月19日)は、日本の実業家。ミノルタカメラ(現:コニカミノルタホールディングス)創業者。和歌山県海南市出身。 | ||
全国の和歌山県出身者 全国の海南市出身者 | ||
185 | 加茂儀一 | Wikipedia |
加茂儀一(かも ぎいち、1899年11月6日 - 1977年11月7日)は、科学史学者。 | ||
一橋大学出身 全国の一橋大学の出身者 | ||
186 | 星野敏雄 新潟県 出身 | Wikipedia |
星野 敏雄(ほしの としお、1899年12月 - 1979年2月11日)は日本の化学者。ビタミンB1、B2の合成など、工業化学の分野で大きな功績を残した。また門下生も多く、東京工業大学や東京大学の教授など500人以上を輩出している。 | ||
全国の新潟県出身者 | ||
東京工業大学出身 新潟県出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
187 | 浅岡信夫 | Wikipedia |
浅岡 信夫(あさおか のぶお、明治32年(1899年)12月15日 - (昭和43年)1968年11月12日)は、日本の俳優、政治家である。第二次世界大戦前、サイレント映画時代の日活スター俳優であり、映画監督、プロデュースも務めた。戦後、参議院議員も務めた。身長177.3cm、体重93Kg。身長180cm、体重90Kg。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
海城高等学校出身 全国の海城高等学校の出身者 | ||
188 | 池田勇人 広島県 出身 | Wikipedia |
池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
京都大学出身 広島県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
広島県立忠海高等学校出身 全国の広島県立忠海高等学校の出身者 | ||
189 | 三輪知雄 長野県 諏訪市 出身 | Wikipedia |
三輪 知雄(みわ ともお、1899年12月27日 - 1979年12月27日)は、長野県諏訪市出身の植物学者。 | ||
全国の長野県出身者 全国の諏訪市出身者 | ||
190 | 藤間林太郎 | Wikipedia |
藤間 林太郎(ふじま りんたろう、本名:原田 林太郎〔はらだ りんたろう〕、1899年12月25日 - 1969年12月24日)は、日本の大正時代から昭和時代にかけての俳優。無声映画時代のスターの一人。 | ||
早稲田大学出身 全国の早稲田大学の出身者 | ||
191 | 諸橋襄 | Wikipedia |
諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月10日 - 1999年(平成11年)1月18日)は、日本の官僚。枢密院書記官長、貴族院議員、衆議院法制部長、会計検査院検査官等を歴任した。新潟市出身。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
新潟県立新潟高等学校出身 全国の新潟県立新潟高等学校の出身者 | ||
192 | 三橋鷹女 千葉県 出身 | Wikipedia |
三橋 鷹女(みつはし たかじょ、1899年12月24日 - 1972年4月7日)は、千葉県出身の俳人。本名・たか子。幼名・文子。旧号・東文恵。原石鼎、小野蕪子に師事。戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに四Tと呼ばれた。 | ||
全国の千葉県出身者 | ||
成田高等学校出身 全国の成田高等学校の出身者 | ||
193 | 安居喜造 | Wikipedia |
安居 喜造(やすい きぞう、1899年12月2日 - 1983年9月30日)は、日本の実業家。東レ会長、経団連副会長、日本化学繊維協会会長等を務めた。また日本国有鉄道監査委員会委員長を務め、国鉄再建のため尽力した。1979年勲一等瑞宝章受章。 | ||
一橋大学出身 全国の一橋大学の出身者 | ||
滋賀県立彦根東高等学校出身 全国の滋賀県立彦根東高等学校の出身者 | ||
194 | 中川不器男 | Wikipedia |
中川 不器男(なかがわ ふきお、1899年12月24日 - 1967年10月13日)は、トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)の4代目社長である。大阪府堺市生まれ。神戸高等商業学校(現神戸大学)卒。 | ||
神戸大学出身 全国の神戸大学の出身者 | ||
195 | 岸道三 北海道 小樽市 出身 | Wikipedia |
岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。 | ||
全国の北海道出身者 全国の小樽市出身者 | ||
東京帝国大学出身 北海道出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
北海道小樽潮陵高等学校出身 全国の北海道小樽潮陵高等学校の出身者 | ||
196 | 末延三次 | Wikipedia |
末延三次(すえのぶ さんじ、1899年12月5日 - 1989年7月24日)は、熊本県熊本市出身の英米法学者、東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
197 | 三宅徳三郎 香川県 出身 | Wikipedia |
三宅 徳三郎(みやけ とくさぶろう、1899年12月13日 - 1982年4月10日)は、日本の外科医、政治家。博士(医学)。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
九州大学出身 香川県出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
198 | 古賀逸策 佐賀県 出身 | Wikipedia |
古賀 逸策(こが いっさく、1899年12月5日 - 1982年9月2日)は、日本の電気通信工学者。東京工業大学および東京大学名誉教授。 | ||
全国の佐賀県出身者 | ||
東京大学出身 佐賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
熊本県立熊本高等学校出身 全国の熊本県立熊本高等学校の出身者 | ||
199 | 丸山二郎 福島県 出身 | Wikipedia |
丸山 二郎(まるやま じろう、1899年12月15日 - 1972年6月30日)は、日本の歴史学者。千葉大学教授。専門は日本古代史。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京大学出身 福島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
スポンサーリンク
200 | 請川卓 香川県 出身 | Wikipedia |
請川 卓(うけがわ たかし、1899年12月16日 - 1960年3月24日)は、日本の実業家。元香川相互銀行社長。男子テニス選手。 | ||
全国の香川県出身者 | ||
早稲田大学出身 香川県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
香川県立観音寺第一高等学校出身 全国の香川県立観音寺第一高等学校の出身者 | ||
201 | 堀田清治 福井県 出身 | Wikipedia |
堀田 清治(ほった せいじ、1899年(明治32年)12月6日 - 1984年(昭和59年)2月17日)は、日本の洋画家。福井県福井市出身。福井県立福井中学(現・福井県立藤島高等学校)卒業。日本の洋画壇を代表するフォーブ(野獣派)の巨匠。日展文部大臣賞ほか受賞歴多数。日洋展委員・動く美術館運営委員もつとめ、積極的な美術活動を展開し多くの俊秀を育てた。芸術院会員に推挙されながらも終始一貫して断り続ける信念の人でもあった。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
福井県立藤島高等学校出身 全国の福井県立藤島高等学校の出身者 | ||
202 | 浅野順一 福岡県 出身 | Wikipedia |
浅野 順一(あさの じゅんいち、1899年12月12日 ‐ 1981年6月10日)は、日本の牧師、神学者(旧約聖書学)。青山学院大学名誉教授、キリスト教功労者。 | ||
全国の福岡県出身者 | ||
青山学院大学出身 福岡県出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
203 | 小川栄一 長野県 出身 | Wikipedia |
小川 栄一(おがわ えいいち、1899年(明治32年)12月24日 - 1978年(昭和53年)12月8日)は日本の実業家。藤田観光の創業者。獅子文六の小説「箱根山」のモデルとなった。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
立教大学出身 長野県出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
長野県上田高等学校出身 全国の長野県上田高等学校の出身者 | ||
204 | 服部敬雄 山形県 出身 | Wikipedia |
服部 敬雄(はっとり よしお、1899年(明治32年)12月10日 - 1991年(平成3年)3月14日)は山形県の実業家。山形県山形市出身。 | ||
全国の山形県出身者 | ||
早稲田大学出身 山形県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
山形県立新庄北高等学校出身 全国の山形県立新庄北高等学校の出身者 | ||
205 | 灘尾弘吉 広島県 出身 | Wikipedia |
灘尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月21日 - 1994年(平成6年)1月22日)は、昭和時代の日本の内務・厚生官僚、政治家。衆議院議長(60・61代)、文部大臣(74・75・77・82・83・90代)、厚生大臣(41代)を歴任。 | ||
全国の広島県出身者 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
広島県立広島国泰寺高等学校出身 全国の広島県立広島国泰寺高等学校の出身者 | ||
206 | 高田稔 秋田県 東成瀬村 出身 | Wikipedia |
高田 稔(たかだ みのる、1899年(明治32年)12月20日 - 1977年(昭和52年)12月27日)は、大正・昭和期の俳優である。日本映画の創成期の1924年から戦後の1971年まで長期間第一線で活躍した二枚目スターである。本名は同じ。別名は高田 昇(たかだ のぼる)。妻は女優の光喜三子。 | ||
全国の秋田県出身者 全国の東成瀬村出身者 | ||
東京音楽大学出身 秋田県出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 | ||
207 | 尾崎一雄 神奈川県 小田原市 出身 | Wikipedia |
尾崎 一雄(おざき かずお、1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日)は、日本の小説家。 | ||
全国の神奈川県出身者 全国の小田原市出身者 | ||
早稲田大学出身 神奈川県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |