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このサイトに登録されている「1860年」生まれの有名人の数:66:人
1 | 上崎辰次郎 福島県 出身 | Wikipedia |
上崎 辰次郎(こうざき たつじろう、1860年(万延元年) - 1895年 (明治28年)3月14日)は、日本の海軍軍人。日清戦争においてその責任感から自決した上等兵曹(当時は准士官)である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
2 | 大橋房太郎 大阪府 大阪市鶴見区 出身 | Wikipedia |
大橋房太郎(おおはし ふさたろう、1860年 - 1935年)は、大阪府出身の政治家。大阪府を流れる淀川の治水に一生を捧げ、治水翁と呼ばれた。 | ||
全国の大阪府出身者 全国の大阪市鶴見区出身者 | ||
3 | 工藤卓爾 青森県 出身 | Wikipedia |
工藤 卓爾(くどう たくじ、万延元年(1860年) - 大正14年(1925年)7月20日)は青森市初代市長。港湾、水道、中央停車場(現:青森駅)など青森市の振興に取り組んだ政治家として知られる。衆議院選挙には2度当選。政財界の巨頭でもあった。合浦公園には彼を偲んで「工藤卓爾君彰徳碑」が建てられている。孫には第26〜29代青森市長の工藤正がいる。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
明治大学出身 青森県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
4 | 石川光親 | Wikipedia |
石川 光親(いしかわ みつちか、安政6年(1860年) - 大正7年(1918年))は、陸奥仙台藩石川氏の末裔。室蘭市の開拓に大きく貢献し、藍綬褒章を授勲した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
5 | 岸幹太郎 | Wikipedia |
岸 幹太郎(きし かんたろう、1860年(万延元年) - ?)は、徳川家理事、家令。日本銀行員及び横浜正金銀行員 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
6 | 小橋篤蔵 東京都 出身 | Wikipedia |
小橋 篤蔵(こはし あつぞう、1860年(万延元年) - 没年不詳)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。従四位勲三等旭日中綬章。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
7 | 島田荘介 | Wikipedia |
島田 荘介(しまだ そうすけ、1860年(万延元年) - ?)は、明治期の官僚、大倉組大阪支配人。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
8 | 花田仲之助 鹿児島県 出身 | Wikipedia |
花田 仲之助(はなだ なかのすけ、万延元年(1860年) - 昭和20年(1945年))は、日本の陸軍参謀本部第2部の情報将校(中佐)。薩摩藩出身。 | ||
全国の鹿児島県出身者 | ||
二松學舍大学出身 鹿児島県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
9 | 槇江山 愛媛県 出身 | Wikipedia |
槇 江山(まき こうざん、安政7年(1860年) - 昭和11年(1936年))は、伊予国浮穴郡上灘(現在の愛媛県伊予市)出身で明治中期から昭和初期にかけて活躍した陶芸家。本名は鹿蔵(しかぞう)、「江山」は号である。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
10 | 乗竹孝太郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
乗竹 孝太郎(のりたけ こうたろう、万延元年(1860年) - 明治42年(1909年)1月5日)は、明治期の指導的評論家、『東京経済雑誌』第2代社長。号は粛堂。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 兵庫県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
11 | 高岡直吉 島根県 津和野町 出身 | Wikipedia |
高岡 直吉(たかおか ただよし、安政7年1月22日(1860年2月13日) - 昭和17年(1942年)9月1日)は、日本の内務省官僚・政治家。鹿児島県知事、島根県知事、宮崎県知事、初代札幌市長、錦鶏間祗候。津和野藩出身。北海道帝国大学総長である高岡熊雄は実弟にあたる。甥に高岡周夫がいる。 | ||
全国の島根県出身者 全国の津和野町出身者 | ||
北海道大学出身 島根県出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
12 | 八代六郎 愛知県 犬山市 出身 | Wikipedia |
八代 六郎(やしろ ろくろう、安政7年1月3日(1860年1月25日)- 昭和5年(1930年)6月30日)は明治?大正期の日本海軍軍人。政治家。海軍大将。男爵。愛知県犬山市出身。兄は衆議院議員の松山義根。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の犬山市出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
13 | 横井時敬 熊本県 出身 | Wikipedia |
横井 時敬(よこい ときよし/じけい、安政7年1月7日(1860年1月29日) - 1927年11月1日)は日本の農学者・農業経済学者で、東京帝国大学教授・東京農業大学初代学長である。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉は有名。 | ||
全国の熊本県出身者 | ||
東京大学出身 熊本県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
14 | 本郷房太郎 兵庫県 篠山市 出身 | Wikipedia |
本郷 房太郎(ほんごう ふさたろう、万延元年1月24日(1860年2月15日) - 昭和6年(1931年)3月20日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・青島守備軍司令官や第1・第17師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功三級。軍を退いてからは久邇宮宮務監督や大日本武徳会長を務める。 | ||
全国の兵庫県出身者 全国の篠山市出身者 | ||
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身 全国の兵庫県立篠山鳳鳴高等学校の出身者 | ||
15 | 阿部正功 | Wikipedia |
阿部 正功(あべ まさこと、安政7年1月23日(1860年2月14日) - 大正14年(1925年)9月11日)は、陸奥国棚倉藩の第2代藩主。白河藩主阿部正耆の次男。正室は徳大寺公純の娘。忠秋系阿部家17代。官位は棚倉藩知事従二位子爵。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
16 | 加藤高明 愛知県 愛西市 出身 | Wikipedia |
加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1月25日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第16・19・26・28代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。 | ||
全国の愛知県出身者 全国の愛西市出身者 | ||
東京外国語大学出身 愛知県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
17 | 翠川鉄三 長野県 出身 | Wikipedia |
翠川 鉄三(みどりがわ てつぞう、安政7年1月8日(1860年1月30日) - 1916年(大正5年)3月26日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
18 | 加藤高明 愛知県 出身 | Wikipedia |
加藤 高明(かとう たかあき、1860年1月25日(安政7年1月3日) - 1926年(大正15年)1月28日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第16・19・26・28代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
東京大学出身 愛知県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
19 | 大山捨松 福島県 出身 | Wikipedia |
大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。 | ||
全国の福島県出身者 |
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20 | 南波三五郎 | Wikipedia |
南波 三五郎(なんば さんごろう、1860年(万延元年2月) - 1941年(昭和16年)4月28日)は日本の政治家、公証人。衆議院議員(立憲自由党)。旧姓は田辺。 | ||
法政大学出身 全国の法政大学の出身者 | ||
21 | 田代正 福井県 出身 | Wikipedia |
田代 正(たしろ ただし、1860年2月16日(安政7年1月25日) - 1918年(大正7年)1月30日)は、日本の明治期から大正期における外科医。長崎医学専門学校長、長崎県医師会長も勤め同県の医術発展と医療普及に尽くした。越前国出身。 | ||
全国の福井県出身者 | ||
22 | 矢島浦太郎 | Wikipedia |
矢島 浦太郎(やじま うらたろう、1860年(安政7年2月) - 1917年(大正6年)10月17日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員(5期、立憲同志会)。 | ||
法政大学出身 全国の法政大学の出身者 | ||
23 | 岡野知十 北海道 様似町 出身 | Wikipedia |
岡野 知十(おかの ちじゅう、安政7年2月19日(1860年3月11日) - 昭和7年(1932年)8月13日)は、俳人。本名は、岡野 敬胤。通称は正之助、別号は正味。旧姓は木川。 | ||
全国の北海道出身者 全国の様似町出身者 | ||
24 | 竹内明太郎 高知県 出身 | Wikipedia |
竹内 明太郎(たけうち めいたろう、安政7年2月28日(1860年3月20日) - 昭和3年(1928年)3月23日)は、現在の高知県宿毛市出身の明治・大正期の実業家・衆議院議員。早稲田大学理工学部設立者。竹内綱の長男で吉田茂の兄(異母兄とも)。麻生太郎の大伯父。子は横浜高等工業学校(横浜国立大学の前身の一つ)教授の竹内強一郎、孫は地理学者、一橋大学教授、日本地理学会会長の竹内啓一、曾孫に、TBSテレビの報道局記者・ニュースキャスターである竹内明がいる。エッセイストの麻生和子(茂の三女)は姪、学者の吉田健一(茂の長男)は甥に当たる。 | ||
全国の高知県出身者 | ||
25 | 伊澤信平 東京都 出身 | Wikipedia |
伊澤 信平(いざわ しんぺい、1860年3月16日(万延元年2月24日) - 1923年(大正12年)6月12日は、日本の明治・大正期における歯科医。東京都出身。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 工藤卓爾 青森県 出身 | Wikipedia |
工藤 卓爾(くどう たくじ、万延元年3月25日(1860年4月15日) - 大正14年(1925年)7月20日)は、青森市初代市長。港湾、水道、中央停車場(現:青森駅)など青森市の振興に取り組んだ政治家として知られる。衆議院選挙には2度当選。政財界の巨頭でもあった。合浦公園には彼を偲んで「工藤卓爾君彰徳碑」が建てられている。孫には第26?29代青森市長の工藤正がいる。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
明治大学出身 青森県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
27 | 平岡萬次郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
平岡 萬次郎(ひらおか まんじろう、万延元年3月8日(1860年3月29日) - 大正12年(1923年)12月3日)は日本の弁護士、政治家。元衆議院議員。兵庫県平民[1]。 | ||
全国の兵庫県出身者 | ||
専修大学出身 兵庫県出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
28 | 山川義太郎 埼玉県 出身 | Wikipedia |
山川 義太郎(やまかわ ぎたろう、安政7年3月14日(1860年4月4日) - 昭和8年(1933年)1月27日)は日本の電気学者。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
29 | 林権助 福島県 出身 | Wikipedia |
林 権助(はやし ごんすけ、安政7年3月2日(1860年3月23日) - 昭和14年(1939年)6月27日)は、明治・大正期の外交官・男爵。会津藩出身。林又三郎の子。会津藩大砲隊長・林権助安定は祖父。位階・勲等は従一位勲一等。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京大学出身 福島県出身の 東京大学の出身者 全国の 東京大学の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
30 | 初代中村鴈治郎 大阪府 出身 | Wikipedia |
初代 中村 鴈治郎(しょだい なかむら がんじろう、安政7年3月6日(1860年3月27日) - 1935年(昭和10年)2月1日)は明治・大正の上方歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋はイ菱。俳名に扇若・亀鶴、雅号に玩辞楼、浄瑠璃名に吉田玉太郎。本名は林 玉太郎(はやし たまたろう)。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
31 | 矢島浦太郎 長野県 出身 | Wikipedia |
矢島 浦太郎(やじま うらたろう、1860年3月4日(安政7年2月12日) - 1917年(大正6年)10月17日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員(5期、立憲同志会)。 | ||
全国の長野県出身者 | ||
法政大学出身 長野県出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
32 | 穂積八束 愛媛県 出身 | Wikipedia |
穂積 八束 (ほづみ やつか、1860年3月20日(安政7年2月28日) - 1912年10月5日)は、日本の法学者。東京帝国大学法科大学長。貴族院議員。法典調査会査定委員。 | ||
全国の愛媛県出身者 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
33 | 平田平三 青森県 出身 | Wikipedia |
平田 平三(ひらた へいぞう、1860年4月12日〈万延元年3月22日〉 - 1933年2月14日)は、日本の牧師。 | ||
全国の青森県出身者 | ||
青山学院大学出身 青森県出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
34 | 斎藤孝至 福島県 出身 | Wikipedia |
斎藤 孝至(さいとう こうし、1860年4月18日(万延元年3月28日) - 1927年10月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
35 | 萩野由之 | Wikipedia |
萩野 由之(はぎの よしゆき、万延元年4月17日(1860年6月6日) - 大正13年(1924年)1月31日)は、日本の歴史学者・国文学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
36 | 高田早苗 東京都 出身 | Wikipedia |
高田 早苗(たかた さなえ、1860年4月4日(安政7年3月14日) - 1938年(昭和13年)12月3日)は、明治・大正・昭和期の政治家、政治学者、教育家、文芸批評家。衆議院議員、貴族院議員、早稲田大学総長[1]、文部大臣などを歴任した。号は半峰。妻は前島密長女。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
37 | 斎藤珪次 埼玉県 出身 | Wikipedia |
斎藤 珪次(さいとう けいじ、1860年4月15日(万延元年3月25日) - 1928年(昭和3年)3月21日)は、明治期の政治家、衆議院議員(8期)、ジャーナリスト、勲四等旭日小綬章。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 埼玉県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
38 | 斉藤珪次 埼玉県 羽生市 出身 | Wikipedia |
斎藤 珪次(さいとう けいじ、1860年4月15日(万延元年3月25日) - 1928年(昭和3年)3月21日)は、明治期の政治家、衆議院議員(8期)、ジャーナリスト、勲四等旭日小綬章。 | ||
全国の埼玉県出身者 全国の羽生市出身者 | ||
慶應義塾大学出身 埼玉県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
39 | 山内万寿治 広島県 出身 | Wikipedia |
山内 万寿治(やまのうち ますじ、1860年4月19日(万延元年3月29日) - 1919年9月18日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
全国の広島県出身者 |
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40 | 柴五郎 福島県 出身 | Wikipedia |
柴 五郎(しば ごろう、万延元年5月3日(1860年6月21日) - 昭和20年(1945年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・台湾軍司令官・東京衛戍総督・第12師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功二級に至る。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
41 | 日比翁助 | Wikipedia |
日比 翁助(ひび おうすけ、1860年(万延1年)5月8日 - 1931年(昭和6年)2月22日)は、明治時代から昭和前期にかけての経営者。三越百貨店を創業し三越の経営改革を進め、日本初の百貨店をつくった人物。号は美勲。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
42 | 野口坤之 福島県 出身 | Wikipedia |
野口 坤之(のぐち こんの/のぐち こんし、1860年6月14日(万延元年4月25日) - 1919年(大正8年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争における第四師団参謀長である。最終階級は陸軍中将。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
43 | 奥田義人 | Wikipedia |
奥田 義人(おくだ よしと/よしんど、故実読みで ぎじん、万延元年6月14日(1860年7月31日)- 大正6年(1917年)8月21日)は、日本の農商務官僚、政治家、教育者。衆議院議員(当選2回)、貴族院議員(勅選)、第1次山本内閣で文部大臣兼司法大臣を歴任したほか、晩年には請われて東京市長も務めている。また中央大学の創設者の一人で、第2代学長。 | ||
東京大学出身 全国の東京大学の出身者 | ||
鳥取県立鳥取西高等学校出身 全国の鳥取県立鳥取西高等学校の出身者 | ||
44 | 根津嘉一郎 山梨県 出身 | Wikipedia |
初代根津 嘉一郎(ねづ かいちろう、万延元年6月15日(1860年8月1日) - 昭和15年(1940年)1月4日)は日本の政治家、実業家。 | ||
全国の山梨県出身者 | ||
国士舘高等学校出身 全国の国士舘高等学校の出身者 | ||
45 | 綾部利右衛門 埼玉県 出身 | Wikipedia |
十代目綾部 利右衛門(あやべ りうえもん、(万延元年6月13日(1860年7月30日) - 1932年(昭和7年)1月2日)は、実業家、初代川越市長。通称・峯太郎。 | ||
全国の埼玉県出身者 | ||
46 | 梅謙次郎 島根県 松江市 出身 | Wikipedia |
梅 謙次郎(うめ けんじろう、1860年7月24日(万延元年6月7日) - 1910年(明治43年)8月26日)は、日本の法学者、教育者。法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、文部省総務長官等を歴任。法典調査会民法起草委員・商法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)学監・校長、法政大学初代総理。勲一等瑞宝章受章。 | ||
全国の島根県出身者 全国の松江市出身者 | ||
東京外国語大学出身 島根県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
47 | 三宅米吉 和歌山県 出身 | Wikipedia |
三宅 米吉(みやけ よねきち、1860年7月1日(万延元年5月13日) - 1929年(昭和4年)11月11日)は、近代日本の歴史学者、国語学者。号は昭軒。 | ||
全国の和歌山県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 和歌山県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
48 | 依田銈次郎 | Wikipedia |
依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年(万延元年7月)- 1933年(昭和8年)9月28日)は、日本の弁護士・内務官僚。政友会系県知事。 | ||
二松學舍大学出身 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
49 | 中安信三郎 | Wikipedia |
中安 信三郎(なかやす しんざぶろう、1860年(万延1年7月)-1932年(昭和7年)10月27日)は日本の政治家。衆議院議員、大日本国粋会会長。旧姓は小林。 | ||
法政大学出身 全国の法政大学の出身者 | ||
50 | 三宅雪嶺 石川県 出身 | Wikipedia |
三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎 | ||
全国の石川県出身者 | ||
東京大学出身 石川県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
愛知県立旭丘高等学校出身 全国の愛知県立旭丘高等学校の出身者 | ||
51 | 小林栄 福島県 出身 | Wikipedia |
小林 栄(こばやし さかえ、万延元年7月23日(1860年9月8日) - 昭和15年(1940年)7月28日)は、日本の教育者。猪苗代日新館創始者。会津藩士の家に生まれる。現在の福島県猪苗代町出身。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
福島大学出身 福島県出身の福島大学の出身者 全国の福島大学の出身者 | ||
52 | 日比翁助 福岡県 久留米市 出身 | Wikipedia |
日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1931年(昭和6年)2月22日)は、明治時代から昭和前期にかけての経営者。三越百貨店を創業し三越の経営改革を進め、日本初の百貨店をつくった人物。号は美勲。 | ||
全国の福岡県出身者 全国の久留米市出身者 | ||
慶應義塾大学出身 福岡県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
53 | 小川一真 埼玉県 行田市 出身 | Wikipedia |
小川 一眞(おがわ いっしん/かずまさ/かずま、万延元年8月15日(1860年9月29日) - 昭和4年(1929年)9月6日)は、日本の写真家(写真師)、写真出版者。写真撮影・印刷のほか、写真乾板の国産化を試みるなど、日本の写真文化の発展に影響を与えた。写真技術者・印刷技術者の小林忠治郎(1869-1951)は実弟。 | ||
全国の埼玉県出身者 全国の行田市出身者 | ||
54 | 丘宗潭 愛知県 出身 | Wikipedia |
丘 宗潭(おか そうたん、1860年9月9日 - 1921年8月19日)は、尾張国出身の日本の曹洞宗の僧侶。安泰寺初代住職。 | ||
全国の愛知県出身者 | ||
55 | 井坂直幹 茨城県 出身 | Wikipedia |
井坂 直幹(いさか なおもと、万延元年9月1日(1860年10月14日) - 大正10年(1921年)7月27日)は、日本の木材実業家、秋田木材株式会社社長。 | ||
全国の茨城県出身者 | ||
慶應義塾大学出身 茨城県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
56 | 馬場愿治 福島県 出身 | Wikipedia |
馬場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日(万延1年8月24日) - 1940年(昭和15年)11月13日)は、日本の裁判官。大審院部長で退官後、中央大学学長を務めた法学博士である。 | ||
全国の福島県出身者 | ||
東京大学出身 福島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
57 | 大川平三郎 埼玉県 坂戸市 出身 | Wikipedia |
大川 平三郎(おおかわ へいざぶろう、万延元年10月25日(1860年12月7日) - 1936年(昭和11年)12月30日)は、明治から昭和初期の実業家。「日本の製紙王」と呼ばれ、「大川財閥」を築いた。江戸時代の剣豪で農民の出ながら武蔵国川越藩の剣術師範となった大川平兵衛は平三郎の祖父にあたる。 | ||
全国の埼玉県出身者 全国の坂戸市出身者 | ||
58 | 有賀長雄 大阪府 出身 | Wikipedia |
有賀 長雄(ありが ながお、万延元年10月1日(1860年11月13日) - 大正10年(1921年)5月17日)は、日本の法学者、社会学者。法学博士。文学博士。姓はあるがとも。 | ||
全国の大阪府出身者 | ||
東京大学出身 大阪府出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
大阪府立北野高等学校出身 全国の大阪府立北野高等学校の出身者 | ||
59 | 井上角五郎 広島県 深津郡野上村 出身 | Wikipedia |
井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日(1860年11月30日) - 昭和13年(1938年)9月23日)は、日本の実業家、政治家。東京府平民。 | ||
全国の広島県出身者 全国の 深津郡野上村出身者 | ||
慶應義塾大学出身 広島県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
広島県立福山誠之館高等学校出身 全国の広島県立福山誠之館高等学校の出身者 |
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60 | 田部芳 滋賀県 彦根市 出身 | Wikipedia |
田部 芳(たなべ かおる、1860年11月1日(万延元年9月19日) - 1936年(昭和11年)11月18日)は明治〜昭和期の法曹家、大審院検事・大審院部長判事等を歴任し商法起草委員として新商法成立に尽くした。滋賀県出身者として司法省法学校同期の河村譲三郎と共に最初の法学博士(博士登録番号22番)。 | ||
全国の滋賀県出身者 全国の彦根市出身者 | ||
61 | 服部金太郎 東京都 出身 | Wikipedia |
服部 金太郎(はっとり きんたろう、1860年11月21日(万延元年10月9日) - 1934年(昭和9年)3月1日)は日本の実業家。服部時計店(現セイコーホールディングス)の創業者。輸入時計の販売店を開業し、のちに掛時計・腕時計の製造・販売へと事業を拡大して世界のセイコーの礎を築き、「日本の時計王」とも呼ばれる。 | ||
全国の東京都出身者 | ||
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62 | 伊藤直純 秋田県 出身 | Wikipedia |
伊藤 直純(いとう なおずみ、万延元年(1860年12月30日) - 昭和8年(1933年8月8日))は、日本の政治家。秋田県横手市生まれ。号は耕余(こうよ)。農村振興、交通網の整備、文化・教育振興など秋田県の近代化を進めた。 | ||
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63 | 嘉納治五郎 兵庫県 出身 | Wikipedia |
嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月9日(万延元年10月28日) - 1938年(昭和13年)5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。兵庫県平民[1]。 | ||
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64 | 釈宗演 福井県 出身 | Wikipedia |
釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。字は洪嶽、楞迦窟、不可往。号は洪嶽。 | ||
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65 | 嘉納治五郎 兵庫県 神戸市東灘区 出身 | Wikipedia |
嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日(万延元年10月28日) - 1938年(昭和13年)5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。兵庫県平民。 | ||
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66 | 下瀬雅允 | Wikipedia |
下瀬 雅允(しもせ まさちか、安政6年12月16日(1860年1月8日) - 明治44年(1911年)9月6日)は、日本の発明家。工学博士、旧日本海軍の軍属(技手・技師=技官)。 | ||
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